老害予備軍だと感じた瞬間

同じ職域で一回り下の世代の方と、インターネットの使い方について対話をする機会がありました。デジタルネイティブからは少し上の世代ですが、自分の父親世代と比べれば、”インフラ”としてのインターネットの価値観をすり合わせることはできると、ぼんやり思っています。

主要としているSNSに違いがあったとしても、私は大学生の頃にmixi全盛期を迎え、近しい時期、下の世代が前略プロフで学生を謳歌していたこともあり、世代によって流行るSNSが違うことも理解しています。オジサンたちの目が届かない場所で、同世代の人たちと楽しむ場が、オンライン上でもあった方が良いというのも理解できます。そんな場所に商売っ気全開で、施策を打つこともしません。そんな世代ギャップに話が咲き、インターネットを使う目的自体、そんなに変わらないのだなと感じていました。

集中度でデバイスが変わる

ただ、自分の中ではインターネットを使う場所や目的によって、PCとスマホで使い分けをぼんやりとしています。それは「スマホは出先で使うデバイス。気軽に使うデバイス。」という点です。世代論の話ではないかもしれませんが、自宅では習慣として俄然PCを利用します。
その結果、もっとも差がでたのがインターネット上にある動画、小説、マンガを楽しむ方法です。これらのコンテンツはスマホで楽しむことに、まだどこか抵抗があります。ただ、これがゲームだと抵抗はなくなります。自分の決めつけに過ぎないのですが、昔ゲームボーイを楽しんでいたことが要因なのかと思います。
動画に関して、これが、アニGifや終了してしまうVine、SNSに上がっているような動画であれば、スマホでも抵抗はありません。SNS経由で接触するケースが多いこともあり、スマホでSNSを利用からの流れでどこかのタイミングで慣れたのだと思います。テキストやイラストメインのコンテンツもSNS利用からの流れで読むことに慣れました。動画やテキストコンテンツをスマホで楽しむことは問題ないものの、ゲーム以外で連続して10分を超えてくるような”リニアコンテンツ”をスマホで楽しむことに、どこか抵抗があるようです。

選択肢を最初から除外した結果、私、これって老害じゃない?

出先で10分以上のコンテンツを楽しむシーンは映画館、スポーツ観戦や音楽のライブ、サウナの休憩所にあるテレビ、マンガや小説などの書籍…昔から馴染みのあるフォーマットです。没入感、臨場感に程度の差はあれど、スマホのディスプレイでもこれらのコンテンツは楽しめるわけです。それを、昔から馴染みのあるフォーマット以外、試してもいないのに抵抗感を持っているようだと、いつしか世代感の溝は深まるばかりです。
このコンテンツはこのフォーマットでなければダメということではなく、コンテンツを楽しむためのフォーマットに選択肢があり、自ら試してみることがもっと重要だと感じたわけです。このときふと思いました。

老害と呼ばれるケースは、多くの選択肢があるにもかかわらず「比較・検討・検証」もせずに選択肢から除外してしまうことなのでは。

これらをしない原因は「面倒、思い込み、決めつけ、知らない」といったケースがあります。自分の中でベストを決めてしまい、選択しないことが効率的という考えです。限られた時間に検証する時間も惜しいわけです。こうなると、よっぽどの外圧がないと簡単には変わりません。検証した結果、やっぱりスマホで動画コンテンツが楽しめないと検証できればよいのですが、何もせずに言い切ってしまうのはいかがなものなのでしょうか。選択肢が少なかった時代では、今はありません。選択肢あり過ぎて困るような時代です。

もし、これが下の世代から施策の相談を受けているケースであれば”その施策が当たるとは思えない”と、自分の習慣から否定の立場をとってしまう可能性が高まります。知らないから価値観のすり合せもできないわけで、今の時代をまったくわからない老害と言われるんだろうなと思ったわけです。

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